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コービーとアイバーソン 1996年世代

 

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1996年ドラフト1位と13位 

 

 ご存知だろうか?アレン・アイバーソンコービー・ブライアントは1996年同じ年のドラフトNBAに入っています。

 

高校時代から荒くれ者で、問題視されていたアイバーソンですがバスケットボールのスキルは超一流でした。

 

ジョージアタウン大学に進学後、大学時代からアメリカトップのシューティングガードとして注目を集め、さらにアメリカ代表も務めました。2年生の時にアーリーエントリーでNBA入りを表明し、ドラフト1位でフィラデルフィア76ersから指名を受けます。

 

 対してコービーは父が元NBA選手であった事もあり幼少期からバスケットボールに触れNBAでプレーする事を目標として直向きに努力を重ねたプレーヤーです。

 

アイバーソンよりも3歳若いコービーですが、高校卒業後すぐにNBAドラフトへのエントリーを表明して若干18歳でシャーロット・ホーネッツより指名を受けます。

 

しかし、ロサンゼルス・レイカーズでのプレーをコービーが強く願った事もありドラフト後すぐにレイカーズにトレードされました。その後、レイカーズNBAデビューを果たします。

 

 1996年ドラフトは豊作な年で、その後NBAで活躍するプレーヤーが多く選ばれています。

 

 このメンバーの中でもアイバーソンとコービーはNBAの歴代選手の中でも鮮烈な活躍を見せたと言えます。

 

Rakuten NBAで2020年1月26日に亡くなったコービーの思い入れ深い試合として、2001年NBAファイナル、76ers vs レイカーズの試合が特別無料放送されました。アイバーソンが活躍した試合で、彼のコートでの存在感の凄さを実感させられる試合内容です。コービーの現役を振り返るうえでアイバーソンの存在は欠かせません。

 

 

 

A.I アレン・アイバーソン The Answer

 

 NBAデビュー後、1997年に新人王を獲得してから4度の得点王、3度のスティール王、2001年には年間MVPを獲得し、オールスターには10回出場したアレン・アイバーソンは超攻撃型SG(シューティングガード)として注目されました。

 

横暴な性格もあり、コートで孤立する事やチームメイトとの不仲を問題視される事もありましたが、才能は歴代のNBAプレーヤーの中でも突出した選手でした。 

 

アイバーソンのあだ名『The Answer』は彼の母が付けたという説や、貧しく治安の悪い地域で生まれたアイバーソンは当時の黒人社会にとっての"答え"、プロアスリート、という道を示したから『The Answer』のあだ名が広まったなど諸説あります。

 

当時のNBAは若手選手をファンに覚えてもらう為にあだ名をつける事が多かったです。実際アイバーソンは所属していた76ersの"答え"の様な存在で彼がいたからこそ、当時の76ersはプレーオフで優勝を争えるチームになっていました。

 

 アイバーソンといえば、クロスオーバーが代名詞でアイバーソンクロスオーバーとして名前がつけられ多くの選手が真似しています。

 

今でもNBAの試合で選手が頻繁に使うムーブとして有名です。どれだけ多くの選手が使うムーブであってもアイバーソン本人のクロスオーバーはまさに別格でした。華麗に相手選手を交わしてジャンプシュートを決めるアイバーソンのプレースタイルは今後のNBAでも同じ様なプレースタイルでアイバーソンほどに得点できる選手が現れることは難しいと思われるほど完成されたものでした。

 

(アイバーソン BESTクロスオーバー集)


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 183cmの身長でNBAの猛者達を相手にここまでの活躍を見せつけれたのは、アイバーソンだけでしょう。

 

彼がつけていた3番はフィラデルフィア・76ers永久欠番になり殿堂入りしています。多くの現役NBA選手はアイバーソンのプレーに憧れ、彼の1on1テクニックを真似ています。

 

しかし、アイバーソンがずっと望んでたどり着けなかったのがNBAファイナル優勝です。彼はNBAで異質の存在として活躍を見せましたが、そのキャリアでプレーオフ優勝を果たすことはできませんでした。

 

Rakuten NBAで無料配信されている2001年のプレーオフアイバーソンにとって一番優勝に近かった年といえます。

 

アイバーソン所属する76ersは、決勝でコービーとシャックが所属するロサンゼルス・レイカーズと激突しました。初戦はアイバーソンの得点がチームを勝利に導きましたが、第2戦からはレイカーズの勢いが止まらず連続で4試合を勝利し、76ersは惜しくも準優勝でプレーオフを終えます。

 

 アイバーソンに足りなかったものは何か?という議論でよく上がってくるのが練習に対する姿勢です。76ersからデンバー・ナゲッツにトレードで放出される事になるアイバーソンですが、もっとも大きな要因としてチーム練習に姿を現さない事が取り上げられました。

 

インタビューでアイバーソンはそのことについて否定していましたが、試合が全てである事を強調し実際に練習の話を聞かれると、試合の結果が全てであってその事についてインタビューしてくれないか。と詳細についてはコメントを拒否していました。

 

NBAを代表する選手として、練習に積極的に参加して若手に指導したりチームを束ねる事を怠った事がアイバーソンNBAファイナル優勝から遠ざけた様に思われます。

 

 デンバーに移籍後もカーメロ選手と強力なタッグを組みましたが、優勝を成し遂げることは叶いませんでした。最後は古巣76ersに戻り、NBAでのキャリアを終えます。アイバーソンとコービーの違いは練習に対する意識にあったといわれます。

 

 

コービー・ブライアント The Black Mamba

 

 コービー・ブライアントがMambaと呼ばれる様になった由縁はコービー自身が彼のパーソナルライフとプロとしてのキャリアを分けるために『The Black Mamba』のあだ名をつけたと、本人がインタビューで話しています。

 

シャリール・オニールが在籍していた時のレイカーズは周囲のチームを圧倒する強さがありました。コービーとシャックの最強タッグはNBAファイナル3連覇をも成し遂げます。もしシャックがレイカーズに残っていれば彼らの偉業はもっと続いていただろうと今でも語られています。

 

しかし、シャックはレイカーズからの移籍を決意してロサンゼルスから離れます。シャックがレイカーズから放出された後、コービーは個人としては活躍するもチームとして結果を残せずプレーオフでもコ納得できる成績を残すことができませんでした。

 

苦しい状況が続く中で、さらに2003-2004年シーズンの途中には19歳の女性に性行為を強要したとして起訴されてしまうコービーは、勝てないだけでなく私生活でもメディアから叩かれてしまいます。

 

 バスケットボールキャリアだけは私生活と切り離して集中したいと考えた時、コービーは自身にMambaというニックネームをつけ、コートではMambaとして戦っていくことを決意します。

 

Mambaは猛毒を持つ蛇で、由縁はタランティーノ監督の映画、『キルビル』を見たときに影響されたと話していました。

 

映画で殺し屋が蛇を使って戦うシーンをみたコービーは、その長さ、噛む力、攻撃、気質を見て、まさに自分だと感じたそうです。蛇は脱皮して大きく成長していく事もあり、コービー自身も一つ一つ皮を剥ぎ大きく成長していこうとしていたのでしょう。

 

 コービーは練習の鬼としても知られています。有名な話では朝4時からコートに通う日もあり、夕方までずっと練習に打ち込むそうです。そのバスケットボールに対する貪欲な姿勢から、周りの若い選手に厳しく接する場面もあった様です。勝てなかったシーズンでは、厳しすぎる練習に若手が嫌気をさして練習に現れなくなった原因にもなったといわれます。

 

しかし、コービーだけは決して諦めず、練習に厳しく臨みジョーダンが引退後はNBAのトップとして徐々に周囲を圧倒します。1試合で81得点を記録するなどNBAでNo.1プレーヤーとして認識される様になります。

 

2009年には、ついにNBAファイナルに返り咲き、2010年も続けて2年連続で優勝を果たします。厳しい練習は必ず報われると信じ続けたコービーの姿勢とバスケットボールに対する愛情はまさにアスリートとして今後のNBAでも多くの選手の手本になっていくでしょう。

 

コービーとアイバーソン

 

 コービーとアイバーソンの違いはやはり練習に対する姿勢だったと感じます。お互い高い才能を持ちNBAの歴史で今後も語り継がれるであろう選手ですが、コービーのバスケットボールに対する厳しい姿勢はプロのアスリートとしてかっこいいとしか、いい様がありません。

 

アイバーソンはコービーがヘリコプターの事故に遭い亡くなった後にメッセージで彼との印象的なエピソードを語っていました。

 

アイバーソンは、ある日コービーに食事に誘われたことがあり、2人で食事を楽しみコービーはアイバーソンをその後送っていったそうです。

 

着いた時に、コービーはアイバーソンにこの後どうするんだ?と質問してそうでアイバーソンは”クラブに行くと思うよ”と答えてコービーに君は?と聞き返したところ”コートに行くつもりだよ”と返答があったそうで、アイバーソンにとってもコービーの印象はバスケットボールに貪欲なプレーヤーであったといえます。

 

 チームメイトに対しても厳しすぎる面がありメディアに批判されたり、ファンに叩かれる事もあったコービーですが、5度のチャンピオンリングとレイカーズで彼が残した多くの名勝負の全ては、ファンが彼の引退を称えることに十分以上の功績でした。

 

周りにも厳しかったコービーですが、実際には自分自身に一番厳しかったと感じます。『Mamba Mentality』コービーの有名な言葉です。多くのNBA選手がその精神を大切にしてキャリアを戦っていくとコメントしています。

 

練習では自分が一番下手であると思い練習に励み、試合ではNo.1プレーヤーであると信じプレーする事がコービーの精神力、バスケットボールに対する真剣な向き合い方です。多くのことをコービーは次世代のNBAスターに伝えて引退していきました。

 

コーチとしてのセカンドキャリアが楽しみであっただけに事故で亡くなってしまった事は非常に残念で、心が痛まれるニュースになってしまいました。今後も彼の活躍を伝えてもっと多くのバスケットボールファンが増えてくれる事を願っています。

 

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