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奴隷制度の始まりとアメリカの歴史ー奴隷解放宣言までの道のり

 

奴隷制の始まり、コロニー統治されていたアメリカ

 

 奴隷制度の始まりは、1619年イギリスコロニー(バージニア、ジェームズタウンコロニー)に20人のアフリカ人が連れて来られたのが最初だとされています。

 

当時のアメリカは最初新たな世界(New World)と呼ばれ、船で渡ってきた、欧米の強国達(イギリス、スペイン、フランス、ポルトガル)によって分断支配されていました。原住民(インディアン)の人々は自分たちの住んでいた場所を追われ、支配統治されます。欧米の国々は自分たちが占領した場所にコロニーを立てて、農業などで土地を有効活用して自国の繁栄のためにアメリカを開拓していきます。

 

その時に、労働力として連れて来た人々を奴隷制度で管理して、タバコ、綿、米農場などで重量労働を課せました。当時は、黒人だけでなく様々な人種が奴隷として船で連れてこられましたが、アフリカ系の国々の発展が進んでいなく、価格が安かったことから特に多く連れてこられていました。

 

奴隷船内部の写真

奴隷船内部

奴隷船内部ー詳細写真

 

大きな船の底に人々を詰め込み、まとめてアメリカに運んで売買されました。人々を運ぶ環境はかなり劣悪で、海路で多くの人が船の中で亡くなったと言われています。ヨーロッパ・アメリカ・アフリカを中心に三角貿易で人や物資の移動が頻繁に行えわれていたようです。

 

 1700年代、統治国の中でもイギリスの力が強く、アメリカを占領する形で支配していました。だが、厳しい税金制度や、働いている人々の扱いが酷かった原因から徐々に反感を受けます。コロニーに住む人々はイギリスからの独立を共通の目標として立ち上がり始めます。

 

ジョージ・ワシントンサミュエル・アダムスなどのコロニーで発言権を持っていた人々が議会を立ち上げて共に戦うと決めた事で独立戦争が始まります。イギリスに勝利した後、議会はアメリカ独立宣言を宣言(1783年)、市民達が自分たちで議員を選んで政治をしていくことを可能にしました。

 

独立後のアメリカー奴隷解放宣言まで

 

 アメリカ合衆国として独立後、第3代大統領トーマス・ジェファーソンによってアフリカ住民の奴隷のトレードを禁止する法制を採用したが、奴隷制度を終えることができませんでした。その反対に、国内での奴隷売買がより頻繁に行われるようになりました。

 

特に当時は、アフリカ系の移民(2世、3世)が安い労働力をとして人身売買されていました。奴隷制度は南部がメインで、北はほとんど奴隷制に賛成していませんでした。1800年代後半には400万人以上の奴隷がアメリカで働いていたと言われています。

 

奴隷達は各州の法律で行動が規制されて、読み書きを学ぶ事も禁止されていた場所もありました。女性の奴隷に対する性的な強要も一般的で、主人のことをマスターと呼んで使える事のみが許されていました。

 

奴隷同士の異性間での結婚制度は設けられていなかったが、多くが結婚して子供をたくさん育てていたようです。しかし、奴隷達が団結して反抗する事を防ぐために家族でも分かれて生活させる事が多かった。マスター達が奴隷に子供を作らせることを許したのは、彼らを売られたり、他の場所の労働力として使う必要があった為でした。

 

奴隷達はクラス分けされ、家で主人と住む家政婦、技術を持った技術職、重労働のみを強いられる農業職でした。農業職を行う奴隷達は人生を全て農園で過ごします。当時の農園の事を特に"Plantation"と呼びました。これは奴隷達が働く場所を指す言葉でです。一般的な農場は”farm"と呼ばれます。差別的な意味で使われてる単語で歴史を話す時などのみに使われる言葉なので"plantation"を日常会話で使うことは控えておきましょう。

 

過酷な環境で働かされていたので、反乱も幾度かありましあたが、力を持った主人が軍隊や周りの住民の力を借りて武力で制圧したために、大きな成功を収めたケースはなかった。反乱を試みた奴隷や助けた人々の多くは武力制圧の時に殺されています。

 

 厳しい奴隷制度で統治されていた南部に比べて、北部は奴隷解放を主張していました。人権を主張する新聞の発行や行動で少しずつ支持を集める一方で、南部の奴隷を北部に脱走させる行動も起こしていました。

 

奴隷制度の大きな転機になったのが、1860年11月にエイブラハム・リンカーンが16代大統領に当選した事です。リンカーンは当選して奴隷解放を政策に掲げます。しかし、それに反対した南部では7つの州がアメリカ連合国として独立します。その後、北部と南部では対立が続きます。

 

睨み合いが続く中、南部が先に連邦軍守備隊を攻撃したことが引き金になり、リンカーンは奴隷解放宣言を掲げて南北戦争(Civil War)を開戦します。

 

リンカーンはまず、1863年に奴隷解放宣言を正式に発表して、約300万人の奴隷を解放します。その後、南部を制圧して1865年にアメリカ合衆国憲法13条(奴隷制の禁止)を可決させて、アメリカでの奴隷制に終止符を打ちました。

 

なぜ○iggaと言ってはいけないのか

 

 リンカーンが奴隷解放宣言を行った事で、奴隷制度はなくなりましたが、決して人種差別が終わったわけではないのです。その後、1990年代に突入するアメリカでは白人至上主義によって有色人種差別や女性差別が起こります。

 

奴隷制度が敷かれていた時は、黒人達を特にNeguroと呼んでいました。差別的な意味合いがあり有色人種として軽蔑され迫害されていたのです。その後に差別用語としてNiggaと呼ばれるようになります。

 

この言葉は重く、アフリカ系アメリカ人達の歴史背景と共に歩んできました。その為にアメリカに住むアフリカ系の人々は、他の住民達と自分たちを区別する為に仲間内で、My niggaと言って自分たちの過去を他と区別している部分もあります。

 

アフリカ系の人々が暮らす環境や、地域は他のアメリカ人達の住む場所よりも発展していない所が多い為に地元愛がとても強いのです。その様な地域で安易にniggaと言ってしまうと、歴史や人種差別に敏感な人にはとても不快な思いをさせる事になります。実際彼らはその言葉で呼ばれて差別を受けていたわけですから。

 

皆さんも近年Hiphopシーンが大きくなっている影響で、様々な音楽からこの言葉が出てきますが安易に言わない様にしましょう。彼らの親や先祖が過ごした歴史を理解できれば、口にする事が難しくなるはずです。

 

今回は奴隷制度に関してまとめました。次は人種差別が一般的な時代に入って、その事戦っていく人々について紹介していきます。キング牧師、マルコムX、ローザ・パークスなど、人々の為に立ち上がった人に注目していきたいと思います

 

 

 

 

 

 

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