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日々是新ー日々是好日

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"Segregation"隔離と人種差別_人々が苦しんだアメリカ1900年代

 

 

"Segrigation"(隔離)ーKKK結束と白人至上主義 

ローザン・パークス写真


 

 憲法13条が作られてから奴隷制が廃止になるけれども、1865年頃にアメリカ南部では"Black Code"(黒人に向けた法律:Jim Crow system)がまた新たに作られます。 Jim Crowはアフリカ系アメリカ人達の生活環境・労働を制限する法律であった。ビジネスオーナー達が低賃金で彼らを雇う事を可能にしたのです。それと同時期にKKK(Ku Kulx Klan=クー・クラックス・クラン)もアメリカで結成されます。

 

KKKは主にアメリカ南部で活動していました。白人至上主義・独裁的で保守的な考え方を持つ秘密結社です。KKKは過激的な集団で、暴力的な行為で公民権運動(人権の自由を求める活動)の妨害を行いました。激しい時は、アフリカ系住民の家を燃やしたり、彼らが通う学校を爆破するまでに至りました。白人以外の人々は有色人種として差別されました。黄色人種や南米系の人々も迫害を受けましたが、一番顕著に差別があったのは黒人達に対してでした。

 

1900年代前半には、KKKのメンバーが南部の至る所に隠れていました。農家や弁護士、政治関係者から一般労働者まで、昼は普通に働き、夜は白い仮面を被って暴力的な行為に及びました。その結果アメリカ全土で "segregation"(隔離)はひどくなります。、黒人達が生活する地域と白人達が生活する地域が分離される様になります。公共機関での待合室や、公衆電話のブースまで区別されていました。バスなどでは『白人専用』などと言った看板まで見受けられる様になって、有色人種、特に黒人の人々は厳しい環境での生活を余儀なくされます。

  

通う学校や教育も分けられて、黒人達が通う学校では、白人の教師達によって、黒人達は白人に仕える仕事をしていく事を教え込ました。住居区域が分けられた後、さらに低所得層が中流階層の住む地域への移動を禁止。この方針は黒人達(低所得層)の移住区を制限するためであり、銀行や金融機関も危険地域として特定地域を区別して、そこに住む人々はローンを組むことすらほとんど出来ない状況でした。この危険地域へのローン制限は結局2008年まで緩和されることはありませんでした。

 

 厳しい生活環境に苦しむアフリカ系住民は人権を求めて”NAACP( the National Association for the Advanced of Colored People)"を1910年に設立します。1909年に行われたNational Negro Conference(黒人達による議会)によって発足が決意されて、人権問題の為に団結して立ち上がる事を目標に活動が開始されます。

 

その後、1度は1948年ハリー・トルーマン大統領によって市民達の平等な市民権を確立させる為の声明が発表されました。しかし、現実的な問題解決にはならず、隔離や差別は続き1940年代〜1960年代の間にデモやボイコットでの公民権運動が激しくなります。

  

 

ローザン・パークスーバスボイコット

 

 大きな変化をもたらした最初のイベントは、アフリカ系アメリカ人女性が自分を犠牲にして、起こしたバスボイコットです。

 

1955年アラバマ州モンテゴメリーで事件は起きました。仕事帰りにバスを利用した際に、席を白人に譲る事を拒否した事でローザン・パークスは逮捕されます。

 

 ローザン・パークスはモンゴメリーで生まれ育ち、地元の美容師と結婚します。夫が(NAACP)の一員だったことから、彼女も影響を受けて人権運動・活動家として活動していました。彼女は、黒人隔離に関係する法律(Jim Crow System)に対抗する方法を模索しながら、若者達に公民権運動をする必要性を説きました。

 

1955年12月1日の夕方仕事からの帰り道にバスに乗ったパークスは、白人に席を譲る必要があるバスの前部の席に座って帰っていた所、席を譲る様に言われた事を拒否しました。警察はパークスがバスの運転手の言う事を聞かなかったとして逮捕して身柄を確保します。

 

当時、パークスと同じ様に行動する人もいましたが、警察の武力による迫害や規制を受けていた事で大きな成果を上げることはできませんでした。しかし、NAACPの一員として活動していたパークスが逮捕されたことによってボイコットは加速しました。

 

 NAACPはこの事件がきっかけに、キング牧師がリーダーを務め、13ヶ月に続くバスの隔離をめぐるボイコットが実行します。市民達はバスの利用をやめたり、街でプラカードを持ちパレードを行なって隔離の中止を求めました。381日のボイコットの末に。最高裁判所はバスの利用をめぐる人種による席や利用の隔離中止を命じます。

 

パークスは疲れたから譲らなかったなど、と言われることもありますが、公民権運動に参加していた彼女だからこそ意図的に事件を起こしたと考えられることの方が多いです。彼女は自身の本にも、私は体的に疲れていたわけではなく、諦めることに疲れたと話しています。

 

このボイコットの成功でキング牧師も全米から注目を集めます。ここから少しずつ大衆の意見が動き出して公民権運動は成果を生み始めます。その為、ローザン・パークスは公民権運動の母と呼ばれることもあります。

 

 

Martin Luther King Jr. キング牧師の活動

 

 キング牧師は1950年代〜殺害される1968年まで人権と人種間での平等のために人々を導きました。大学時代にガンジーの思想から大きな影響を受けたキング牧師は、平和的なデモと反抗を強調して人々を団結させ、人生全てをかけて不平等と戦いました。

 

ローザン・パークスがバスの席を白人に譲る事を拒んだ事で起きた、モンゴメリーのボイコットでは、活動家達の先頭に立ち平和的なデモを行います。モンゴメリー・バスボイコット中には、暴力で脅される事も多々ありました。過激派の攻撃で、家族が住む家を爆破されたこともありましたが諦めずに381日に及ぶデモ活動を続けました。

 

 1958年には過激派に胸を刺される事件も起こります。その事から、キング牧師は平和的な活動をより強く求める様になり、大衆を導き平和的反抗と人権の平等について全米を移動しながら演説を行いました。キング牧師を代表に平和的なデモと人権を求めるクリスチィアン団体、Southern Christian Leadership Conference(SCLC)は、モットウに"Not one hair of one head of one person should be harmed"(どんな人の、頭の、髪の毛一本をも傷つけてはならない)を掲げて活動が進められます。

 

その後、30万人を超えるワシントンマーチ(デモ行進)を実行して、1964年に公民権法を政府に発表させる結果を達成します。ワシントンマーチの際の演説は、キング牧師の最も有名スピーチ " I have a dream" です。"the all man are created equal"(すべての人々は平等に作られた)というフレーズは強く心を打ちました。

 

キング牧師演説ー" I have a dream" スピーチ和訳


[英語スピーチ] 歴史的な演説 私には夢がある | I have a dream |マーティンルーサーキング | Martin Luther King | 日本語字幕 | 英語字幕

 

キング牧師暗殺ー1968

 

  数々の活動の成功とキング牧師の社会貢献を称えて、1964年ノーベル平和賞が与えられます。彼の武力行為にも怯えない強い精神と、平等の為に戦う姿勢は世界の多くの人に影響をもたらしました。アメリカでの"segregation(隔離)"も少しずつ改善されていきます。

 

その後もキング牧師はSCLCのリーダーとして活動を続け、ベトナム戦争中は貧困に苦しむ人々の為にデモ行進を先導するなど、マイノリティー(少数派)で立場の弱い人々の為に戦いました。

 

 そんなキング牧師の活動をよく思わない人々も多く、白人至上主義の人々に命を狙われる標的となってしまいます。悲劇は1968年4月4日に起こりました。メンフィス州に訪れてたキング牧師はホテルのバルコニーで射殺されてしまいます。アメリカ全土が悲しみに包まれ、当時のジョンソン大統領は全米で追悼する日と設けて、彼の功績を国民全員でたたえました。

 

暗殺の犯人は、逃走するも警察に捕まり99年の実刑を言い渡されて刑務所で死を迎えることになります。しかし、キング牧師の暗殺は多くが闇に包まれています。獄中で死を迎える前の実行犯は、最後に供述を変えて殺害に関係した事があると思われる新たな人物の名前が多くでました。だが、長い年月が立った為に本当の真相はいまだに謎の部分も多く、未だに真相解明のために調査をする人々もいます。

 

 アメリカは1983年、レーガン大統領が1月の第3週目の月曜日をマーティン・ルーサー・キングJr.の日にする事を決めて国民の休日として正式に認定されています。キング牧師の行動は多くの人々の行動や考え方、人種差別や不平等に関する思いを変えました。これからも彼の貢献は偉業として後世に話され続けていく事になるでしょう。

 

カリスマ Malcon X(マルコムX)

 

 キング牧師と同じ様に活動家として多くにアフリカ系アメリカ人を導いた人物としてマルコムXも活躍しました。

 

1925年、ネブラスカ州オマハで生まれたマルコム・リトル(マルコムX)の父は牧師で活動家でした。父がアフリカ系アメリカ人の自由の為に活動していた事で、マルコム・リトルは幼少期からKKK(Ku Klux Klan=白人至上主義の秘密結社)から迫害を受けて育ちます。

 

KKKに狙われていた事で、マルコムの一家は転々と移り住みながら暮らしていました。しかし、ミシガン州ランシングに移り住んだ時は家ごと燃やされる事件も起こります。それでも当時、街の警官や消防団は白人のみだった為、みんながマルコムXの家が燃えて崩れていく様子をだた見ていただけで助けてくれすらしなかったと、本人は後年に話していたそうです。

 

その数年後、マルコムXの父は路上の車の中で死体で発見されます。家族は皆、脅迫状が日々届いていた事を主張して殺人だと訴えましたが、地元警察には交通事故だと判断されて保険金すら受理できない様に処理されてしまいます。あまりのショックにマルコムXの母は立ち直る事ができずに精神病院に入院を余儀なくされるほど精神を病んでしまいます。結局彼女はその後、施設で26年間過ごす事をなりました。

 

 幼い頃に父を亡くし、母が病院で住むことになったマルコム・リトル(マルコムX)は、里親に引き取られて、親戚の兄弟たちと共に幼少期を過ごします。中学に通いクラスでも優秀な成績を収めていました。転機はある日、教師に将来の夢を聞かれた時に訪れます。弁護士を目指していたマルコムXですが、アフリカ系の人々がアメリカで高い教育を受ける事など教育が隔離されている状況では、無理に等しかった為に、木工業はどう?現実をしっかり見なさいを言われます。

 

そこで、マルコムXは中学を中退して数年後に、ボストンに住む姉を頼り移り住みます。靴磨きやレストランで働きながら暮らしていましたが、すぐにドラッグの売人や強盗などの仕事で稼ぐ様になり、生活していきます。クラブなどで連日遊んだりする姿があったと言われていて、警察からも要注意人物とされていました。

 

そして、21歳の時に強盗罪で逮捕されて10年の実刑を受けてます。マルコムXは獄中で再度教育を受ける事を決意して読書に明け暮れます。教育を再開する中で、面会に訪れた兄からイスラム教徒になる事を勧められます。イスラム教の教えを受ける中で、彼は白人の支配から立ち上がるための戦いに目覚めます。

 

刑務所での刑期を終えて出所後に、マルコム・リトルは名前をマルコムXに変えて正式にNation of Islam(NOI)の一員としてイスラム教の教えを人々に説きます。マルコムXのカリスマ性はすぐに顕著に現れます。NOIを代表して都市を移動しながら演説を行う中で、NOIのメンバーは、1952年から1960年の8年間で400人ほどだった初期から、約40,000人まで増えます。

 

マルコムXの活動は、自己防衛を説き、必要ならば暴力を行使する必要があると人々に話しました。暴力がなくては革命はできないと力説していた事で、キング牧師とは対抗的な関係にありました。

 

活動中、NOIの代表、イライ・ジャ・ムハンマド(Elijah Muhammad)に信頼を寄せていたマルコムXですが、ムハンマドがNOIのメンバーであった女性達と性的な関係があり、中には既婚者もいたとして訴えられた事で大きく落胆します。この事実からマルコムXは自分を信じてついて来てくれた人々の居場所がNOIではない事を悟り、自ら団体(Muslim Mosque, Inc)を立ち上げます。

 

 その後、アフリカから中東、メッカやサウジアラビアを旅して様々な人々と意見を交わした後にアメリカに帰国します。帰ってきたマルコムXは、暴力行為で人々は前が見えなくなる事があると語り、旅で多くの兄弟(同じ宗教を信じる人々)と話した事でアメリカは血を流さずに革命できる可能性があると人々に訴えました。そこからアフリカ系アメリカ人のみならず、すべての人々に、自由・人権・行動・地域活動の大切さについて説いていきます。

 

長い旅路で、多くを経験したマルコムXは暴力行為のない、平和的な抗議活動を目指す様に変わっていきます。 

 

しかし、彼の活動が世論を大きくうごき出した時で暗殺の標的にされていると悪い噂が流れ始めます。暗殺は噂だけにとどまらぜ、1度目は1965年2月に家族が住む家を燃やされました。その時は妻と4人の娘全員が無事に生き延びる事ができましたが、1週間後の演説会場で3名の襲撃により、演説台で15発の弾丸を受けたマルコムXはその場で死亡が確認されました。

 

 彼は、武力的な立場から平和的反抗の模範になった人物として多くのアフリカ系アメリカ人に敬われました。死んだ当日の演説の時も、実は会場に向かう前に暗殺が企てられている事を知っていたと言われています。彼は、それでも脅迫に負けず、自分の使命を渡すために演説上に立った様です。この様な強い心と彼のカリスマ性が当時、多くの諦めかけていた人々を奮い立てせて自由のために戦いました。

 

これからもマルコムXはアメリカを平等と人権的自由な国に導いた人物として忘れられる事はないでしょう。キング牧師同様に偉大な人物でした。

 

最後に

 

 奴隷解放後も1800年代半ば〜1900年代終盤まで、アメリカでは人種差別的考え"segregation"(隔離)が一般的でした。白人以外を圧迫する方針で、住む地域や教育などの隔離が実際に行われました。低所得層の人々は非常に貧しい生活を余儀なくされ、さらに自由や人権も乏しい環境でした。それを正すために立ち上がった人物3人を紹介しました(ローザン・パークス、キング牧師、マルコムX) 。これ以外にも多くの人が自分だけでなく、正しい社会になる様に努力をした結果、

1964年公民権法ー労働での、人種・肌の色・性別による差別を禁止

1965年ー公平な投票券

1968年ー住居の平等

1960年代から少しずつ世論は動き、アメリカは平等な国へと進化していきました。

 

日本で考えると、江戸時代当時の士農工商階級制度に似ているのではないでしょうか?幕府直属の武士のみが贅沢できる仕組みで、農民たちの生活は厳しかった時代です。そのために立ち上がった坂本龍馬や西郷隆盛が日本で偉人とされる様にアメリカでも理想の国のために戦った人々がいたのです。

 

 大きく違うところはアメリカで隔離的思想が一般的だったのが、つい50年近い過去であったという事です。そのため今でも、隔離生活をしていた地域は発展が遅れていて貧しい人々が多く住んでいます。特にその様な場所では、アフリカ系アメリカ人が多く住んでいるのです。

 

彼らは、まだまだ満足な教育が受けられなかったり、平等的に仕事をもらえない事が多くあります。少しずつ改善していこうとする人々の行動は見られますが、もっと多くの人が同じ気持ちで理解者にならなければ彼らの環境は変わりません。

 

アフリカ系移民が多く住む地域で、ギャングや犯罪の多い場所の人々はまだまだ下に見られたり、育った場所を話しただけで差別される事があります。歴史を見れば全て彼らの責任ではないのです。その環境で生活するしかない状態で、努力していこうとしているのです。

 

 今回は、前回の奴隷制度があった独立同時のアメリカに続き、1800年代〜1900年代に注目しました。次回はその後2000年代に入るアメリカ社会にスポットライトを当てます。隔離を支持した両親を持つ子供たちの世代で、KKKも実際に存在するアメリカで警察による圧力が市民たちに大きくのしかかる時代です。

 

2020年6月、アメリカ全土で行われているデモ活動の根本的な原因を探っていきましょう。このデモは、世界中に広がり、大阪でも多くの人が集まって人種間での平等を求める行進が実施されています。

 

アメリカだけではなく、世界中でデモ活動が起こるという事は、同じ様に人種の違い、移民の立場で迫害されて苦しんでいる人々いるという現実を象徴していると思います。アメリカの歴史を見れば、弱い立場の人々を守らなけば、同じ過ちが繰り返される事になるという実感できます。5月に警察によって殺害されたフロイド氏の事件がもう2度と繰り返されない事を願っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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